2012年2月28日火曜日

硫黄島



今さらながら、己の無知を晒し恥を承知で懺悔したいことがある。




今から25年ほど前の冬の話。
たしか年も明けて早々に誠っちゃん(ヨットマン)と共にグアムへ向かった。
グアムレース後の船の回収業務。
ヨットを小笠原父島迄回航させる仕事だった。
イミグレーションやら食糧の仕入れやら船の点検等もスムーズに運び1日で終わらせた。
すぐさま天候の変わらぬうちに出港する。
グアムから硫黄島までひたすら北に向け船を走らせた。
風はまさに順風満帆、
西から西北西の風がコンスタントに7・8 m/s〜12m/s吹いていた。
6日間で硫黄島まで着いた。
二人で3時間毎のワッチ交代は始め辛かったが、2日もすれば慣れた。
硫黄島を左に眺め船を父島に向ける。
この時硫黄島の周りは晴れてはいたものの、
人を寄せ付けない無人島の威圧感とでもいうのか…
そんなものを感じた。
私が恥じる事ととはこの事で,
その頃の私は硫黄島の戦いの事を知らなかった。
かつてこの島で日米合わせて3万人近くもの兵士が命を失っていた事を。
命を賭して日本を守る最後の砦として,
2万人もの日本兵が、地下壕に潜み、
泥水をすすり飢えを凌ぎ戦っていた島を
私たちは素通りしてしまった事を。


私はここに懺悔したい。





なにかの機会があればと何度悔やんだことか。
後に海に花を供えることしか出来なかった。






うしろを振り向き硫黄島が小さくかすかに見える頃
父島まであと8時間で着くだろうと船長の誠っちゃんが言った。
すぐあとに気象FAXが入る。
それを見るとこれから向かう父島を挟むように低気圧が二つ出来ていた。
しばらくすると穏やかだった海がみるみる顔色を変え、
海一面白波に覆われた。
二人は夜に備え、セイルをリーフ(強風用に小さくたたむ)させた。
夕陽が沈む頃には白波が大きな大きな山のようなうねりに変わり、
遥か頭上から襲いかかる波の水量は激しく、
身体がゴミくずのように洗い流されないよう堪えるだけだった。


その日の夕焼けは
これから始まる暗黒の夜に
血を塗り付けたような
赤黒い空だった。














長い長い夜が終わる頃、
父島の影がかげろうのように見え、涙した。
生きて帰れたと、、、








今思うとあれは英霊達の怒りだったにちがいない。



改めて、心より懺悔する。


                          合掌




このYOU TUBE動画は
市丸利之助少将は硫黄島の地熱50度,硫黄ガスの噴出す塹壕の中で当時の米国大統領ルーズベルトに和英両文(現代訳)の遺書を残して戦死し(英文はハワイ出身の三上弘文兵­曹による),その後遺書は預かって戦死した通信参謀村上治重大尉の腹巻の中から発見され,昭和20年7月米国にて公表された。文書は自分の死,部隊の全滅を目前に,実に的­確に戦争への経過,当時の社会,軍人,日本の立場を表現しており,米国を論理的に非難もしている貴重なものと思う。


        ルーズベルトに与うる書


文中より*
畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大みことのりに明らかであるように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って『その生まれた土地においてその生を享受する』このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
このことはかつて、
「四方の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」(意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) 
という明治天皇の御製に言われていることと同じであります。
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したことをあななたも良く知っていることでしょう。
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、つまるところ彼らは色々な職業につきながら、この天業を助けるために生きているのです。

今この21世紀の時代においても、世界が末期的状況の中この手紙が本質をついてると感じる。
政治家さんや官僚、マスコミ、御用学者さん、、利権争い、権力闘争、自己保身に走って恥ずかしくないですか?
日本人の精神は米に溶けてしまったんだ。    
市丸少将の精神性を取り戻すべく少しでも近づきたい。                                                    

合掌  













そして最後に、、いつもスピリチュアルな情報をもらっている
ひとりごと、ぶつぶつ さんからの情報






  ”君が代” の本当の意味


       立ち上がれ、神を讃えよ!

   神の選民 シオンの民!


   選民として 喜べ!


   人類に救いが訪れ! 

 
   神の予言が成就する!


   全地あまねく 宣べ伝えよ!





   クムガヨワ          (立ち上がる)
   テヨニ            (シオンの民)
   ヤ・チヨニ          (神・選民)
   サッ・サリード        (喜べ・人類を救う・残りの民として)
   イワ・オト・ナリァタ     (神・予言・成就する)
   コ(ル)カノ・ムーシュマッテ (全ての場所・語られる・鳴り響く)



   君が代は 千代に 八千代に
   
   細石の  巌となりて
   
   苔の生すまで







ひとりごと、ぶつぶつさんより転載
国歌君が代は行事があれば歌われますが、本当の意味を知っている人はどれほどいるのでしょう。それは日本人のルーツを知らなければ分からないことです。般若心経なども文字だけではなく音でしか解釈できないことは知られていますが、君が代も音で本来の意味を伝えようとする意図が隠されています。これが分かると、何故闇の勢力偽ユダヤ(アシュケナジーユダヤ)が日本だけを執拗に攻撃するのが分かります。私たちの血のなかには真正ユダヤ(スファラディーユダヤ、人類の始祖アブラハムの子孫)が受け継がれているからです。



英霊たちにむかって歌うと  


魂がうち震える


ぼくはいのちあるかぎり、


この国が黄金の国になることを夢見て生きていこうと思う。




















歩来行   
























2012年2月26日日曜日

新石垣空港

 


新石垣空港開港まであと375日


今週は雨続きで今日も石垣は雨
舗装工事の作業は中止
作業員は誰もいない、、







午後から雨があがりアフリカマイマイがどこからともなくあふれ出す。





 アフリカマイマイ(阿弗利加蝸牛)は、腹足綱柄眼目アフリカマイマイ科に分類される巻貝。近縁種とともに世界最大の陸産巻貝の一種である。

本種を中間宿主とする寄生虫広東住血線虫)は、人間に寄生した場合、好酸球性髄膜脳炎を引き起こす危険があり、場合によっては死に至る。
げっ! 知らなかったさぁ、、(汗) 
触る、這った跡に触れる等してもこの寄生虫に寄生される危険があり、大変注意を要する生物である。
日本では植物防疫法により有害動物指定を受けており、分布地からの生体の持ち込みは原則禁止されており、世界各国でも本種の生体の持ち込みは禁止されている。一方で外来生物法においても要注意外来生物に指定されており、世界の侵略的外来種ワースト100(IUCN, 2000) 選定種にもなっている。







手前の水たまりから鴨が2羽 飛立つ
来年の今頃は当然こういう光景は見られない。。




2012年2月20日月曜日

FAKE IT TILL YOU MAKE IT ①   My dream of one trivial








今朝は夜も明けないうちに、
雀たちの鳴き声で目が覚めてしまった。


片手でカーテンを少し開き、
外を覗いてみると、
夜中の雨はすっかり止み、
水平線の上のうっすらとした雲が
薄赤く染まりかけている。


顔を洗っているうちにコーヒーメーカーからコーヒーが香る。
それをスタバのコーヒーボトルに注ぎ入れ
フタをして、
ウクレレを無造作に一本選び
外へ出た。




浜へ続く小道には
うっすらとモヤが左から右へ
そよと流れだしている。


左の奥の森から漂う薫りが
たまらなく甘く息を吐き出すのが惜しいくらいで、
ゆっくり胸いっぱいに吸い込む。




浜へ出る手前でサンダルを脱ぎ
裸足で砂浜を歩く。






























柔らかな砂の表面は既に乾いていたが、
足を踏み込むと少しひんやりと湿っぽかった。




太陽は今,水平線を割って出たばかり。
今日はまた一段と大きく温かい。






海はまだ朝凪で
汐は満ちているが
波の音は静かにさざめいている。
























しばらくゆっくりと歩く




ふと前方に
波打ち際から少し小高くなったガンチョウギのあたりまで
なにかを引きずったような
幅の広い跡が
四本も並んでいた。


ん?


初めて見る跡だった。


足が止まり、
いつもと違う光景に五感を澄ました、、が
すぐにそれが何かわかった。


ガンチョウギの陰に砂が盛り上がっていた。











































海亀の跡だ。
産卵をしに海亀が這い上がってきた跡にちがいない。


四匹も、、、ゆうべ、 
タマゴを生みに来ていたのか、、、




しばらく呆然とあたりを見回し突っ立ったままだったが




少しイタズラ心が湧き
ガンチョウギの脇の
砂の盛り上がりの横に座り
ウクレレをポロンと弾いてみた
ニッと笑いながらGコードを弾いた
どうだい、、?
胎教、、じゃなく卵教?
ちがうか、、ハハハ、、
少しは人間に慣れて生まれてくるかな?
、、なんて勝手なことを考えながら
しばらく波の音に合わせてウクレレを弾いた。












そういえば明日からMAUIIでJOWSの写真を撮りに行くんだった。。























北海道を発達して通り過ぎた低気圧が抜けていく。
975HPぐらいにはなっているはず。






3,4日もすればMAUII の北側にでかい波が行く、、
今年はいい写真を撮るぞ。
あわてて立ち上がり歩き始めた


砂浜を歩き始めて、ふと思いついた。
2、3日前に浜をうろつくイノシシを思い出す。
それとイノシシと同じように浜をうろつく
動物保護団体面した人々もいた。
こういう人々は平気で穴をほじくり、
きゃはは卵卵卵 あ 割れちゃった、、、きゃはは
と 言いそう、、、








折れた枯れ枝を探し、
亀の足あと? 腹あと、、を消した。
そして、残っていたコーヒーを
適当に撒いた。


イノシシがきっとコーヒー嫌いだと、、


祈りながら。。










卵が孵るまであと2ヶ月はかかるはず。







  My dream of one trivial    歩来行







































2012年2月16日木曜日

復興


すべては気づきさんより転載


いつもあらゆる情報からいろいろな角度で気づかせてくれる
『すべては気づき』さんより新たなニュース、、


震災から11ヶ月後の写真-英国からの絶賛、

そして現実


東日本大震災から11ヶ月がたちました。まもなく、1年がたちます。
英デイリーメール紙オンラインが、震災直後と今の写真を同じ場所に撮影し、その復興ぶりに英国の人々が驚き絶賛の声を寄せています。イギリスなら今頃、やっと復興のための委員会が立ち上がる時期という皮肉も。
何という復興の速さ!津波の被害から11ヶ月、様子を表す一連の写真が、津波による被害からの復興の驚くべき速さを物語っている。




What a comeback! Eleven months after the tsunami ravaged Japan, a series of pictures reveals the incredible progress being made to clear up the devastation

Last updated at 10:35 AM on 13th February 2012
When Japan was hit by both an earthquake and tsunami in quick succession in March last year, the images of devastation gripped the world.
And now after 11 months of tireless rebuilding, these pictures reveal the amazing progress made since those tragic events.
Photographers returned to the scenes of desolation to take these stunning shots that capture the way in which the areas most severely affected have changed.


Read more: http://www.dailymail.co.uk/news/article-2099811/Eleven-months-tsunami-earthquake-ravaged-Japan-new-pictures-incredible-progress-multi-billion-pound-clear-up.html#ixzz1mSjiCpur











岩手県大船渡市
宮城県気仙沼市

                   石巻市





石巻市津波の被害を受けた町で、杉本裕子さんは毛布にくるまり残骸の前にたち彼女の息子5歳のらいとを探している




今年1月14日に気仙沼









岩手県陸前高田市 2011年3月22日2012年1月15日


Before and after 岩手県陸前高田







日本人は素晴らしいですよね。
わずか11ヶ月でここまで復興させて。
悲しいニュースばかりの中で、目頭がぐっと熱くなります。
まだまだ本当の復興には時間がかかるのでしょうが、
まだまだ頑張っていきましょう!
がんばろうNIPPON!










また、陽は昇る







































































2012年2月13日月曜日

沖縄電力竹富配電塔






沖縄電力 竹富配電塔
竹富島へは沖縄電力石垣発電所(ディーゼル発電、ガスタービン発電)より海底ケーブルで送電されている。







拡散拡散!



プルトニウムの241番が放射能の力が半分にまで24,000年かかるんですよ。今この瞬間使ってるエネルギーのために24,000年先の子孫にごみを、負の遺産を受け渡すことの解が出てないわけじゃないですか、答えが。なのに、発電し続けてることのその矛盾、だから斜陽なんですよ。
そしたら、労働組合の委員長、こう言いました。キムラ、おまえ、頭が狂ったんだな、気が狂ったんだな。
僕は、あんたが気が狂ってるんだよってはっきり言ってあげました。そしたら、すごい怒って、おまえみたいなやつはもうやめろと、そう言われて、やめられて。
で、またその後におもしろい話があるんですけど、僕はね、原子炉の認可出力ってあるんですよ。例えば福島第一の1号機だったら、1,380メガワットなんですよ、原子炉の出力は。1,380メガワットを電気にすると、460メガワットで、東京ディズニーランドを1日動かすのに必要な電気は570メガワット。
だから、福島第一の1号機じゃ東京ディズニーランドは動かないんです。足りないの。









さようなら原発1000万人アクション




今では脱原発の顔となってしまった山本太郎さんですが、よくよくスピーチを聞いていると、自身の怒りと共に、民衆への怒りを助長するような煽り方はいけませんねえ、、、賛同できないです。

怒りの想念で行動したり、不安や悲しみでこれからの日本や地球の事を思い巡らしても決して豊かな地球になることはないと思います。



藤波心さんの純粋で筋の通った発言。そしてこの『故郷』沁みますね

中学三年生にこういう発言されている政治家さんたち、、
内部被爆で心洗って来なさい。。


  
    うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川
    夢はいまもめぐりて 忘れがたき ふるさと

    いかにいます 父母 つつがなしや 友がき
    雨に風につけても 思いいずる ふるさと

    志を果たして いつの日にか 帰らん
    山は青きふるさと 水は清き ふるさと


         

藤波心さんの発言とうた「故郷」(2012.2.11)





そして謙さん
わたしたちの想いを見事に代弁してくれた。

東京新聞 TOKYO Web(2012年1月26日)より転載

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える



スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。
渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。
スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。
スピーチ全文は次の通り。
初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。






さあ!立ち上がりますか。。
























人と自然が調和して、平和で豊かで深い喜びを感じあいながら暮らしていきたいよね。